[ Dramatic Change ]


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■2010/7/7

『劇中劇』ならぬ『劇外劇』を捏造。
『ギャップ萌え』の余地を与える技術作法でもあるよなぁ、このパターンは?

巳虎に対する『「実は結構いいヤツじゃね!?」幻想』と、
『警備員殺しに対する嫌悪感』の狭間で葛藤&煩悶する意見をあちこちで見て、
「その辺りを上手くクリアする様式はないかね?」とか考えたら、
ふと『鉄腕バーディー』の巻末おまけネタを思い出したので、

「じゃあ同じく、『本編は役者さんが演じてるドラマで、実は『中の人』は
みな気のいい人達だし、だから誰も死なないヨ!』ってんでよくね?」

とか思って描いた安直なネタでした。

 

…が、今週(198話)で、警備員殺しに対する『それなりの理由』が
明らかになったので、ソレで葛藤諸々も若干緩和されたのではなかろかなぁとか?

 

このネタはフィクションであり、実在の物語とは(以下略)<言わずもがな

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以下、酔っぱらいのグダり話。

『葛藤を催す事象』について、私的には
「別に、罪のない警備員氏(だが巳虎を呼び止めた際のあの物言いは
(死に値せする程ではないとしとも)結構無礼ではあったよなぁ?)を
あっさり殺す外道だが、同時に『存外親近感を覚えるお爺ちゃん子』でもある
…好き嫌いはさておき、単に『そういう人である』ってんでいいんじゃね?」
とか思っていました。

目が眩む様な善と、目を覆う様な悪。好ましい部分と忌まわしい部分。
そこに理由があろうが、なかろうが。それらを理解できようとも、理解できなかろうとも。
そういったものが、『ひとり』の中に同時に存在する(というか『してしまう』?)

だが良くも悪くも、そういう混沌とした状態が『人の在りざま』というモノではなかろうかと?
(…とか、分かった様な口振りの上、あまりに模範的かつ紋切り型の論旨で、我ながらどーかなーとも思いますが)

『自分が『悪』だと感じるモノが、ソレ一辺倒である(と思い込んでいられる)』
方が、精神衛生的には楽な姿勢ではあるのでしょうがねぇ。
(まーでもリアルに考えたら率直な所、自分に悪影響を与えるモノの背後まで理解してやる義理もないしな)